1977-11-16 第82回国会 衆議院 文教委員会 第3号
だから、あの封鎖事件が頻発をしておった時代に大学運営臨時措置法というのがつくられました。当時は大変な悪法だ、治安立法だと言ってもちろん批判もいたしましたし、私どもの党も反対したと思うのでありますが、同時にまた、大学を基本的に意義づけるものは学校教育法の第五章に決められておりますが、これもきわめて短い内容のものであります。
だから、あの封鎖事件が頻発をしておった時代に大学運営臨時措置法というのがつくられました。当時は大変な悪法だ、治安立法だと言ってもちろん批判もいたしましたし、私どもの党も反対したと思うのでありますが、同時にまた、大学を基本的に意義づけるものは学校教育法の第五章に決められておりますが、これもきわめて短い内容のものであります。
確かに封鎖事件は起こらなくなったかもしれない。しかし、封鎖事件という形、いわゆる公然とした形ではなくて、むしろもっと陰湿に日常化されてこういう事件が起こっている、そのことは決して放置されていいものではない。
四月に第一回のベルリン封鎖事件がございました。これまた国際的な大事件でありまして、言うなれば世界が二つの軍事ブロックに分かれていき、かつ冷戦に入るというきっかけがますます強まった。一九四九年の四月がベルリンの第一回封鎖なんですね。この事件、この辺のところから、日本に対する占領政策の変更が見られる。
いまお聞きのとおりです、愛知大学の封鎖事件というのは。そこでお尋ねしたいのでありますが、いま申しました十二月十六日の夜、この暴力集団が大学から逃げ出しまして、その直後大学の学生自治会の会館のバリケードを排除したわけです。
特に、アメリカのキューバの封鎖事件以来、原糖が非常に高くなりまして、いろいろな矛盾が国内に起きております。キューバと外国との問題のために、非常に日本の砂糖がこういうような問題になるというのは、何らかの形で打開する必要があるのではないかと思いますが、何かほかの方法で原糖を輸入する道はないのか、この点を、大臣及び大澤長官に伺いたいと思います。